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「狂言綺語」は琉游舎だよりに毎回綴っている文章です。

ここにあらためて転載いたします。ご意見ご感想をお待ちしています。

ワード形式縦書きにして読みやすく編集し直したものがあります。ご希望の方はお問い合わせフォームからおしらせください。

●狂言綺語0・・・彼岸会にことよせて

彼岸は悟りの世界。煩悩に満ちたこちらの岸(此岸)に対して極楽浄土の向こうの岸(=彼岸)

を表します。私たちは六波羅蜜の教えを実践する事により、彼岸へ渡るとことができるとされています。

しかし凡人である我々は、六波羅蜜の教えを毎日実行することは難しいことなので、せめて春と秋の年2回はその教えを実行する。これが現在のお彼岸法要の意味となっています。

ちなみに六波羅蜜とは彼岸へ到達(パラミータ)するための6つの実践徳目です。

1布施:施しをすること。2持戒:戒律を守り反省すること。3忍辱:不平不満を言わず耐え忍ぶこと。

4精進:一所懸命努力すること。5禅定:心を静かに保つこと。6智慧:真実を見抜く智慧をもつこと。

この六波羅蜜の教えは毎日実行することはおろか、年2回のお彼岸の日に実行することすら、困難なことに思えます。少なくとも私には僧侶にもかかわらず相当な忍辱と精進を要しそうです。

 法要の導師を勤める私がこんな自信のなさそうな発言をしたのでは、皆さんにとって法要のご利益が失せ、有り難く思えなくなってくるかもしれません。でもそもそも有り難い僧侶や法要って何でしょう。皆さんに背中を向け、荘厳で威厳たっぷりに法要を取り仕切り、宗祖の教えを語る導師を後方から拝めば、それはたいそう有り難い存在かもしれません。僧侶は皆さんに法の布施を施し、皆さんは僧侶に財の布施を施す。それで八方丸く収まる。ホントかな?

 法要と僧侶の「荘厳と威厳」は「形式と権威」に取って代わられ、導師として皆さんを彼岸に導くために先頭に立つことで背中を向けていたものが、いつの間にか皆さんの生きる悩みに文字通り背を向けて、一人高みに立って見下ろす存在になってはいないでしょうか。あるいは宗祖の教えの名のもとに、今が鎌倉時代や江戸時代や明治時代であるがごとく、文字に残されているという理由だけで部分部分を金科玉条オウム返しに語っていないと言い切れるでしょうか。

 私は有難い存在になるより、今この現代を生きる社会と人々とそしてその中の、喜び悲しみ苦しみ楽しみを自分自身の目と耳と鼻と舌と身と心であるがままに受けとり、そして素直に、喜びを喜び、悲しみを悲しみ、楽しみを楽しみ、苦しみを苦しみ、すべてをそのままに観ることのできる存在になることができればと思っています。このことが今のところ私が唯一自信をもって皆さんにお話しできる仏さまの教えだと信じているからです。

 さあ大変な大風呂敷を拡げてしまいました。これから琉游舎だよりのスペースに余剰ができたら、この大風呂敷を少しでも畳めるようなサイズまで戻すべく、日々の生活の中から感じ取った仏さまの心を、率直に分かりやすく書いていきたいと思います。分かったことは分かったそのままに、分からないことは分からないそのままに。質直にして意柔軟に。不定期ですがお付き合いください。

●狂言綺語Ⅰ・・・やすらぎのところ

六波羅蜜の実践。年2回くらいならできそうかな、でもやっぱり自分には無理かなと思われている皆さん。ご心配は無用です。かくいう私も全く実践できる自信がありません。最初からできないと開き直るのもなんですが、やはり出来ないものを出来ると言ってみてもしょうがないですよね。ただこの機会に、無心で、素直に、自分の心の中を眺めてみるのも悪くないなと思っています。これが年2回だけでなく、毎月、毎週、毎日、そしていつも、自分の心をありのままに質直に意(こころ)柔軟に観ることができれば、いつの間にか「やすらぎのところ」に辿り着いているのではないでしょうか。

 この「やすらぎのところ」は彼岸そのものだと思ってます。難しい理論や実践によって彼岸に到達できる方はごくごく選ばれた人(例えば肉体的にも精神的にもマゾの人や教祖様命の宗教エリート)だけでしょう。生活者である私たちは六つの徳目を実践しなさいと言われると、その段階でもう心が萎えてしまいそうです。だからせめて自分に今できそうなことを一つ、「自分の心を素直に観る」ことを私は実践していきます(もちろんこれも簡単なことではないのですが)。

 日常の流れに流されるままの生活をしている中で、一日一回ほんの一時流れの中に立ち止まって自分の心と対話する、そしておもむろに心の流れに棹さして日常の流れにもどっていく。流れに立ち止まる前と後ではほんのちょっとだけ気持ちが安らかに穏やかになっていればいいな。そして毎日毎日これを繰り返していけばいつの間にか「やすらぎのところ」にたどり着いているというのがいいなと。これが自分の行いがもたらす果報であったとしたら、もうこれで充分です。

 仏教専門用語でいう「観心」というのは、このような行い(「行」と言うには恐れ多い)だと私は自分なりに思っています。宗教を生業としている人からは「おまえは何をいい加減なことを言っているんだ」とお叱りを受けるでしょうが、それもしょうがないですね。お釈迦様のおっしゃっていることを素直に聞いた結果、今の自分にできる行いがこれなのですから。

 話は飛びますが、小津安二郎監督の名作「東京物語」の熱海の堤防シーン。笠智衆と東山千栄子演ずる老夫婦の姿に、私は二人の「やすらぎのところ」を観ました。東京の子供たちには厄介払いのように熱海の宿をあてがわれ、そこの旅館は社員旅行で眠られないという翌朝の堤防での二人の語らい。傍目から観て、「幸福な日々ですね」といえないような毎日。それでも一時の堤防での会話には互いの慈しみと安らぎが溢れています。皆さん機会があればご覧ください。映像は直接心に語りかけてきます。言葉でいろいろと書き連ねる私の「狂言綺語」より、遙かに分かり易くまた心にすーっと入ってくると思います。

●狂言綺語Ⅱ・・・コリーナの秋

玄関を開けたとたん金木犀の香が朝の冷たい空気を和ませて、鼻の奥をこそばゆくさせていきます。

あちこちの庭に列になって咲く彼岸花の、繊細なのに鮮やかな赤が歩調に合わせて眼の端を歩き去っていきます。

アスファルトに今落ちたばかりの栗の鋭いイガを、靴底で踏んでいいものかどうかつま先が足踏みをしています。

季節はずれの日暮らしの鳴き声が、ついこの間まで美声を競っていたツクツクボウシやミンミンゼミの声を耳の底に呼び覚まします。

7月の初めから毎日のように収穫し舌と胃袋を満たしてくれた夏茄子は、いつの間にか秋茄子と呼んだ方がふさわしいような大きさと手触りと味になりました。

昨日の雨で落ち葉となった桜の葉を掃いていると、風と共に新しい葉がこの身と竹箒にまとわりついて、また仕事を増やしていきます。

 コリーナの秋は全身を使って味わい尽くすことができます。注1眼と耳と鼻と舌と身と意(こころ)で秋をありのままに受け取って、味わった色と声と香りと味と感触と心持ちをそのままに秋に返してあげれば、ちょっとだけ心根が優しく安らかな気分になって来ます。

このありのままに受け取るということは、どういうことでしょうか?

 例えば栗は8月の終わりから今日にいたるまで大量に実を落とし、美味しさを提供してくれています。でも実を落とすその行為は他の生き物にごちそうを提供することが目的ではないでしょう。どんぐりの実は9月初旬の一週間ほどの間に、小さく青い実と葉っぱを4,5枚付けた塊を多量に落とします。まだ大きくはなっていない未熟などんぐりの実が、生き急ぐかのように大量に空から降ってきます。

生物学に詳しくないので私の見立ては間違っているかもしれません。ただ栗の実もどんぐりの実も落とされているのでなく、自らの意思で木から分れて地上に降り立っていると感じるのです。おそらく一番強い実一つが次の世代へと木の命をつなげるために、そうでないものは自ら落下を選んでいるのではないでしょうか?生き物が永遠の未来へと命をつなげるためのすがた。これが私がありのままに観た地上に降り立った栗とどんぐりの実のあるがままのすがた(実相)です。

 イタチらしき小動物を口にくわえて歩道から森の中に入っていったカラス。皮と毛だけが残されたウサギの亡骸。車にひかれてぺちゃんこになったタヌキや蛇。木の下に取り残された大量のセミの抜け殻。バッタに丸坊主にされた大根の葉っぱ。イノシシに掘り返された畑。夜の狐の寂しい鳴き声。明け方の鳥の奇声。この1か月に私が見たコリーナの自然はきりがありません。これを残酷やかわいそう気味悪いなどという言葉で表現することは間違いでしょう。現象を言葉にして評価してしまうと、それはもうすでにありのままに受け取ったことにならないからです。

 前回、ありのままに自分の心を観ることを仏教専門用語では「観心」と言い「自分の心を素直に観てその心と対話する」ことだとお話ししたと思います。今回は私なりの「観心」の実践方法をお話しします。「コリーナの秋」を眼と耳と鼻と舌と身と意で受け取った当初は「気持ちいい」「楽しい」「かわいそう」「辛い」というような感情が沸き起こります。その感情がもたらすかたち(例えば落下した栗の実)に目を凝らしていると(観察する)、いつの間にかそのかたちの中にある栗のいのちが語りかけてきます。「僕はこのようなかたち(実相)なんだよちゃんと観てね」と。心も頭も空っぽにしてそのもののかたちを見つめると、いつの間にか栗というかたちの中にあるいのちが語りかけてきてくれるのです。その時「楽しい」や「かわいそう」や「辛い」という様々な”感情“は感動や感謝や慈しみに変わってくるのです。これを難しい仏教語で言うと”観心によって永遠のいのちと感応道交した“と言うようですが、話がややこしくなってきそうなので、ここまでにします。

 ありのままにこの社会を観ることで、自分の“感情”が感動や感謝や慈しみに転じていく。そうなればきっと“やすらぎのところ”にいつかは辿り着けるような気がします。とここまで書いて

「だが、それじゃお前はただ見ているだけの傍観者じゃないか?」と追及され、フリーズしてしまいました、締まらないまとめですみません。今回はここで強制終了いたします。

「見る」と「観る」についてもう少し考えてみる必要がありそうです。

注1:眼・耳・鼻・舌・身・意の6種類の器官を6根といい、

            6根がその対象に対する執着を断って清らかな状態になることを6根清浄という。

●狂言綺語Ⅲ・・・見ることもなく

「狂言綺語」という題にふさわしく今回は現代詩を取り上げてみます。本来は和歌や物語を指す言葉ですが、この言葉がしきりに使われた中世にはもちろん現代詩はありませんでした。しかし高尚で有難い仏法の教えからすれば、当時の僧侶などの知識人にはたわごとにしか過ぎないとさげすまれていた文学の系譜の中でも、最も生産性が低く読者も少なく意味もよくわからない現代詩こそ、現代の狂言綺語にふさわしいジャンルではないかと思い、今回取り上げました。

私の大好きな詩人で黒田三郎という詩人がいます。彼の「見ることもなく」という詩です。

   それを見ないわけではないのに

   勤めにいそぐ駅までの道の

   どのへんにこぶしが咲き

   れんぎょが咲き

   沈丁花がかおるのかを

   僕は知らなかった

   何と多くのことに気がつかず

   ただひたすら道をいそいでいたことだろう

   遅刻すまいとただそのことしか

   念頭になかったかのように

   五十歳を過ぎたある日突然勤めを止め

   これからどうすればよいのか

   見当もつかなかったのに

   その日から僕には

   見えなかったものが見えるようになった

   いつも通る道のあちこちに

   さまざまの花の咲いているのが

解説は必要ないでしょう。書いてある通り素直にお読みください。現代詩が難しいなんて嘘ですね。こんなに素直で分かり易い詩は現代詩らしくなくて、格好がつかないと感じるかもしれません。私はこの詩を40年以上前の高校生の時に初めて読みました。その当時はあまり記憶に残らず、「ああ彼は定年前に仕事をやめてしまったんだ、通勤の時には気づかなかった道すがらの花をみる余裕ができたんだ。」くらいの感想だったと思います。

ところがかくいう私も会社勤めを定年前にやめてコリーナを終の棲家と定めてちょうど一年が経ちました。直近の詩話会のテキストとして戸井みちおからこの詩を提示されて、「これこそ狂言綺語だ」と新たな発見をしました。文学はまやかしの言葉という当初の「狂言綺語」の意味が、白居易の文章に「狂言綺語の過ちを転じて……讃仏の因となさん」とあったことから,平安時代以降,和歌や物語が逆に仏教の修行に繋がり,これを助けるとする考えが成立したのです。これがこの首題の本来の意味です。

前回の「コリーナの秋」で書いたように、この一年間今までの会社勤めでは見えなかったものが、色々見えてくるようになりました。それはあるがままに対象を観る(観心)ということであり、観ることによって相手の永遠のいのちと感応道交しているのですとお話ししました。でも見えなかったものが見えるようになったのは、ひょっとしたら会社勤めをしなくなって、周りのものを感じる余裕ができただけと言えるかもしれません。黒田三郎もそのくらいの感覚で詩を書いたのかどうかは分かりませんが、文学がひとたび発表されるとそれは作者のものではなく、読者のものとなるのです。今この詩を読むとき、作者が道すがらの花たちと対話をしている姿を、そしてその対話の中に安らぎの処を見い出しているすがたに私は強く共感しています。そして自分はこれからも今まで通りコリーナの自然をありのままに観て自然と素直に対話していくことが、「行」であるという確信を持つことができるようになりました。それこそ黒田三郎の「見ることもなく」が私に与えた詩の力です。「見ることもなく見ていたもの(結局何も観ていないということ)から、見ることの先を観ることができるようになる」という確信を私に与える詩の力です。

前回から「『見る』から『観る』」ことについてこだわって書いてきましたが、少しづつでも前に進んでいるでしょうか?後退しているのであれば早く気付かねば。それではまた次号でお会いしましょう。

●狂言綺語Ⅳ・・・はじめに行いありき

「はじめに言葉(ロゴス)ありき。」

聖書のヨハネ福音書の冒頭の有名な言葉ですね。僧侶である私がいきなり聖書の言葉を持ち出してきて、何を言い始めるのでしょう。私はかねてより「琉游舎はすべての人に開かれたフリースペースです」と申し上げています。琉游舎は思想・宗教・人種・老若男女を問わず、お互いが対話することで相互理解をし得られる共感の場だと思っています。同じ考えの人と話しても仲間褒めか些細な違いをあげつらうセクショナリズムに陥るだけでしょう。そこで今回は自分から遠くにある言葉や考えをもとに「見る」から「観る」について考えてみたいと思います。

ロゴスと言う言葉はギリシャ語です。私は学生時代プラトンのイデア論を専攻していたのですが、ロゴスという言葉の理解に大変苦労いたしました。簡単には説明し難いのですが、あえてまとめてみると「イデア(真理)を認識するために必要なものがロゴス(言葉、理性、論理)」だと言うことでしょうか。であれば聖書の言葉は「神を認識するために最初に言葉や理性や論理があった」「神の認識はロゴスにおいてなされる」「神のなかにロゴスはある」と私には読めてしまいます。(勝手な読み方でしたらごめんなさい)キリスト教はまずロゴスによって受け入れられるべき宗教なんですね。たとえば「汝の隣人を愛せよ」という言葉(ロゴス)はすんなり私たちの頭に入ってきます。頭に入ってきたものはすんなり心に入り自分自身の血肉となっていくでしょう。キリスト教はロゴス(言葉、理性、論理)によって私たちを信仰へと導く宗教のようです。まさしく聖書と言う言葉(ロゴス)によって成立しているのですね。

ところがお釈迦様の教えには「汝の隣人を愛せよ」という類いの教えの真理を表した言葉は思いつきません。お釈迦様の言葉と言われるお経は膨大な数があります。その中の一つ、たとえば法華経こそが真実の教えだと標榜する宗派があり、浄土三部経こそが真実の教えであると標榜する宗派がありで、では仏教の聖書に当たるものは何だと言われると各宗派ごとに違ってくるのです。仏教には言葉(ロゴス)がないようです。あるのはさとりに到るための行いだけです。それは「煩悩を滅する行いによってのみさとりを得ることができる」と言うことです。煩悩を滅するための方法や悟るための行いの違い、悟ったらどこに行くのか?などでいろいろなお経と考えがあるのです。私にとってのそれは「ありのままに観ることの行いの積み重ねによって安らぎの処にたどり着くことができる」ということですから、あえて私はお釈迦様の教えを「はじめに行いありき」と言ってみたいと思うのです。「正しい教えは行いによってのみ顕現する」

論証の乏しい粗雑な話で恐縮ですが、私のあるがままに見た仏教の姿は、キリスト教の「はじめに言葉ありき」に対して「はじめに行いありき」だと感得されます。西洋的思考は対象を見たり聞いたり読んだりすることをロゴス(言葉、理性、論理)で認識するため、自己に対して他者という関係で成立する二元論の世界です。ところが「初めに行いありき」は見るや聞くや読むということを言葉や理性や論理というものを媒介せずに受け入れること(行い)だと思います。それはそのままをあるがままに受け入れるということになると思うのです。対象と一体化する。自己も他者もない一元論の世界です。

「見る」ことがロゴスによって認識され自己と他者が厳しく分別される世界に対し、「見る」ことから「観る」ことつまりあるがままに受け入れることによって自己と他者が一体化する世界。あえて対極に配置するとこういうことになるでしょうか。どちらが正しくどちらが間違っているかという議論は無意味です。私はこの両極端の間で毎日右往左往しながら生活しています。今までの生活や仕事や学習の場では二元論的思考が体に染みついているので、意識しないと物事を無意識のうちに「正か邪か」「善か悪か」「好か嫌か」などと峻別しているのです。ですから日々意識して物事をあるがままに観てあるがままに受け入れようと努力しなければ、自分の認識判断は片方に偏ってしまい「中道」というお釈迦様の教えに反してしまいます。この日々の努力と行いが私の「行」というものだと思っています。

今回は少し話が理屈っぽくなってしまいました。次回は「自分とコリーナの風景が溶け合い風景を自分の身にまとうことができたらそれは自己と他者が一体化するということではないか」と考えていることについて書いてみたいと思います。「見る」から「観る」そして「行い」は「風景となる」について。

それではまた次号でお会いしましょう。

●狂言綺語Ⅴ・・・行いは風景となる

 やっと秋らしい天気が、ここコリーナでも続くようになりました。朝がどんどん遅くなり夜がどんどん早くなっていきます。生き物も自然も冬準備に大忙しの秋です。さて私たち人間は自然が冬支度をしているこの季節に、何をしているのでしょうか?私は明け方の澄んだ月をみながら今朝の冷え込みを感じたり、紅葉の見頃はあとどのくらいだろうかと、色づかないまま枯れ散った落ち葉をさくさくと踏みしめています。夜の虫の鳴き声も風前の灯火、小松菜やキャベツの葉っぱがバッタに食われることもこれからはないだろうな、などと思ったり。

 私は人間や動物や草木そしてそれらを支える大地とその上に無限に広がるこの空間、今まさしく自分が生きて観て聞いて味わい触れる感触を「風景」と呼んでみたいと思います。「自然」と呼ぶと「文明の進歩は人が如何にして自然を克服してきたかの歴史だ。」とか「人間は今まで自然を破壊してきた、これからは自然を守らなければいけない」というような人間対自然の二元論的思考がどうしても働いてしまいます。「環境」もしかり。今行われているCOP23はパリ協定をどう進めるか、アメリカの離脱宣言を許していいのかなど、結局「人間にとってどう地球環境をコントロールしていけばよいのか?」ということが論点になってしまいます。だから倫理・哲学・宗教の視点からではなく、科学や経済の視点から環境が議論されることが必然となるのです。前回の繰り返しになりますが「初めにロゴスありき」がもたらす当然の帰結です。

 誤解なきよう申し上げますが、私は「初めにロゴスありき」を起源とする世界のとらえ方に対しておかしいではないかと言っているわけではないのです。ただちょっと窮屈だなと感じているだけなのです。「地球環境は何としても守らねばならない」「受動喫煙の根絶は当然だ」「正義は貫徹すべきである」など、例が適当かどうかはともかく「ought to」(~すべきである、~するのが当然だ)という”目的”を示しそれを実現することが善であるという世界の認識方法について、ちょっと窮屈な感じを受けるのです。ところが実際は「自然は私の心の安らぎです」「受動喫煙は私には苦痛です」「あなたの正義は私の正義ではない」というような「is」(~です)という”事実”がわたくしたちひとりひとりにとっては切実なような気がします。「ought to」と「is」の間が離れていればいるほど、その世界は私たちには不自由で窮屈な世界であり、安らぎの処から遠いところのような気がするのです。

 「風景」について考えてみます。「はじめに行いありき」これがお釈迦様の教えですと前回書きました。私がコリーナの風景に触れるということは澄んだ月や落ち葉を見、鈴虫や雉の声を聴き、風の冷たさを肌が感じ、渋いか甘いかと柿の実に思い致すことです。最初は耳や目や鼻などの体の器官が働きます。そして器官から心へとその感覚の在り場所が移動していきます。眼で「見」ていたものを私自身のいのち全体で「観」る。耳で「聴」いていたものを今ここにあるありのままの私が「聞」く。体の器官や脳が認識する「自然」や「環境」ではなく、私のこころが永遠のいのちに触れて風景そのものとなる。私はありのままの自分に私でないすべての存在(いのち)の風景をまとい、コリーナの風景の一つとなり、すべてのいのちと一体化するのです。これが「はじめに行いありき」です。つまり私自身が私以外のすべての存在とともにひとつの風景となるそのために「行い」があるのです。

 風景を身にまとい風景そのものとなること。そうなると人は自然をコントロールする存在でもなく、自然に打ち負かされる存在でもなくなり、自然の中に生かされるいのちのひとつとなるのです。その時私は風景の中で生かされている自分に感謝し、自分でないいのちを慈しみ、そのいのちを頂くことに感謝するでしょう。そしてそこがやすらぎのところなのです。

 風景をまとうという行いは絵空事でしょうか。風景そのものになれば自然と共生することができる、だから自然を破壊することもなく、仲良く暮らすことができるという楽天家、あるいは自分だけが自然と共生できれば良しとする隠とん者なのでしょうか。軍備を持たなければ他国から侵略されることもなく、いずれ他国も武装を放棄するだろうと考えた、かつての非武装中立の考えにどこか通底しているようにも思えます。しかし今、あえて自分が生きている社会の論理(ロゴス)の対極にある観る(行い)という視点から日常を振り返ってみることも必要だと思っています。こころを非武装中立にするのです。ロゴスに偏ると窮屈、行いに偏ると放埓。

どちらにも偏らない中道の道が見つかればよいのですが。

それではまた次号でお会いしましょう。

 

狂言綺語Ⅵ・・・ロゴスと行いのあいだ

 山歩きをこのところよくします。車を置いて登り初め、頂上でおにぎりを食べてまた戻ってくるとおおよそ4~5時間。コリーナから車で1時間前後の山なので高くても2000m弱、低ければ500m程度です。低ければ楽、高ければきついという事でもありません。登りの30分間ずっと急登という低山もあります。登りで転ぶことはありませんが、下りでは転ぶことが多々あります。翌日筋肉痛のこともあれば、全くなんともないこともあり、「頂上はまだかまだか」と思って歩いているときもあれば、「あれもう着いちゃったの」という時もあります。それが山の険しさや歩く距離やエネルギーの消費量に比例しているわけでもないようです。不思議ですね。だから山歩きはくせになります。

 前回「風景を身にまとう」について書きはじめてみましたが、ちょっと抽象的な話になってしまったと反省しています。私は常日頃、社会の論理(ロゴス)とその対極の観る(行い)とのあいだで右往左往の日常生活を送りながら、なんとかやすらぎのところにたどり着きたいと考えて生活しています。そこで前回はこころを非武装中立にするのも一つの方法かなと書いてみました。もっともらしい言葉ですがどうやるかの実践方法がありません。「こころの非武将中立」は「あるがままに観る」とか「風景を身にまとう」とか「全てのいのちと一体化する」と言うことの言い換えに過ぎないのでしょう。私は評論家や学者ではありません。僧侶は実践方法を示しそれを実践して初めて僧侶となります。大げさに聞こえるかもしれませんが「はじめに行いありき」に忠実に、私も「行い」の中でその実践方法を示していかなければならないのでしょう。

 山歩きには「一気に」とか「たちまちに」ではなく「だんだんに」とか「いつのまにか」と言う言葉が似合います。一気に下ろうとするとたちまち転びます。下りほど足下を見て地面を踏みしめないと、バランスを失い翌日の筋肉痛につながります。足をだんだんに前に繰り出せば、ゆっくりでも必ずいつかは目的地に着きます。気がつけば頂上です。一歩一歩地面に足を置き続けていくうちに、いつの間にか鳥のさえずりや木々のざわめき、風のささやきも意識からなくなり、何も考えず、何も感じず、何もない私が、何もないまま足を前に踏み出しています。それを私でない私が観ることができたら、行いが風景となっているはずです。このような、風景と一体化し風景そのものになる山歩きができれば、風景を身にまとうことを実践できたことになるのでしょう。

 ところが実際はひやりとしたり、足を滑らしたり、転んだり、いつもと違うところが筋肉痛になったりと一体化するどころか風景と格闘しているのが実情です。駐車場にたどり着いたら、「ああ今日もしんどかった。早くビールが飲みたい。でも、車を運転しなければ」と家路をいそぐ。車中ではいつの間にか「次はどこに行こうか」と来週の山行きに思いを巡らす。この繰り返しです。格闘の後にまた新たな格闘を望むなんて、たとえ山が相手であろうとも自ら望むものではないような気がします。私は好戦的・被虐的な性格ではないつもりなので、だからこれは「格闘」ではなく「対話」と呼びたいと思います。自分に相手と対話するだけの心持ちも力量もなければ、本人は対話のつもりでも、はた目には相手と言い合い自分自身と格闘しているように見えるようなものです。自分が気づかないだけで、はた目からは滑稽に見えるでしょう。不謹慎かもしれませんがドナルドさんとジョンウンさんの『対話』が自分自身を自ら罵って自らと滑稽な『格闘』をしているように感じるのは私だけでしょうか?

 しかし私はその格闘を繰り返すことでいつかは必ずそれが対話に変わっていくものと信じています。格闘という対話を通して相手を感じ、相手を受け入れ、相手の一部となる。言葉(ロゴス)の格闘から始まりその繰り返しの中から対話という行いが生じてくるのではないでしょうか。私のささやかな山歩きも格闘を繰り返すうちに、山道の岩や木の根や落ち葉と自分の足裏の距離が縮まり、対話が始まります。目や耳や鼻も、風や鳥や木々と対話するようになり、いつの間にか風景全体と対話をし、その対話すら意識することがなくなれば、いつのまにか風景を身にまとっている。一瞬でも風景と一体化出来たらそこがやすらぎのところです。その瞬間を少しでも味わいたいがために、また人は山歩きして風景と格闘(対話)し、そしてその繰り返しの行いがやがて風景となるのでしょう。

今回はロゴスと行いのあいだに格闘と対話を仮定してみました。

この仮定が実践方法として有効かどうかは行いあるのみです。

というわけで来週末また山歩きに行こうと思います。

それではまた次号でお会いしましょう。

狂言綺語Ⅶ・・・無記

 「無記」という言葉があります。仏教用語で「お釈迦様が哲学的な問いに対しては是か非かの答えを出さないこと」を言います。形而上学的な問いについて判断を示さず沈黙を守ることで、無用な論争の弊害をのがれ、苦しみを滅して彼岸に辿り着くための実践方法(行い)を見失わないために、ととられた立場です。言葉で表せない事柄だから無記ではなく、言葉で表すことに意味がなくかえって害となるから無記なのです。

 原始佛典の中に「世界は永遠か否か、有限か否か、生命と身体は同一か否か、如来は死後存在するか否か」という質問について、お釈迦様は何も語らなかった(無記)と記されています。質問者が「答えられないのであればわたくしはあなたについて修行を続けることができません」と言うと、お釈迦様は「毒矢に射られ苦しむ人を前にして、医者が患者の身分、階級、弓の種類、矢の種類などについて答えを得られない間は治療しないとしたら、その人は死んでしまうだろう。 世界が永遠であろうと、有限であろうと、生命と身体が同一であろうとなかろうと、死後存在しようとしまいと、人は生老病死からは逃れられず、悲しみ・嘆き・苦しみ・憂い、悩むのです。」そして「私は現実の生活の中で生きる苦しみ(毒矢)から逃れるための実践方法(毒矢の手当て)についてだけ説くのです」と語ります。とても率直で、現実的な態度ですね。

 それから2000年以上の間、人類は何と無駄なおしゃべりを続けてきたのでしょうか?分からないことは分からない、役に立たないことは役に立たないと語る智慧を、私たちは2000年以上前の過去に置き去りにしてきて、分からないことをさも分かったように、役に立たないことをさも役に立つかのように語ってきてしまったようです。お釈迦様の教えは「苦しみを滅して彼岸に辿り着くための実践(修行)方法」だけです。この目的を見失うまいとするのが「無記」の立場であり、お釈迦様は自らが生きた時代の現実の中で、毒矢の手当て方法を処方されたのです。心の病(苦)を癒す処方箋を当時の社会環境に合わせて衆生に与えてくださったお医者様です。

 「行い」の邪魔になるものは無記であるとの教えはまさしく「はじめに行いありき」の教えそのものです。毒矢に刺さった理由や属性をどんなに明らかにしようとしても、答えが出る前に死んでしまっては元も子もありません。唯一無二の目的は毒矢を抜いてその苦しみを和らげ、死なないようにすることであり、目的以外の行為は無駄であるばかりか、本来の目的を妨害するものです。答えがすべて与えられてからでないと「行い」に踏み込めないとしたら、その人はいつまでたっても無駄話と妨害を自らにし続けることになるでしょう。だから黙ることです。「無記」と。そして「行い」に踏み出すべきです。「行い」をし続けることでしか安らぎのところに辿り着く方法はないというお釈迦様の教えを信じることです。

 とは言ってみたものの、私たちは具体的には何を「信」じて、何を「行」えばよいのでしょうか?

私は2000年以上も無駄話に明け暮れた末に今語られている「仏のおしえ」と言われるものを、そのまま素直に信じることはできません。この長い年月の中では、途中立ち止まってお釈迦様の言葉(法)を直接聞こうと必死の「行い」をした祖師の方々、たとえば日蓮聖人や親鸞聖人や道元禅師を知っています。そこではその社会のなかでやすらぎのところにたどり着くための切実・必死の「行い」が実践されていました。「題目」を唱え「念仏」を唱え「只管打坐」に打ち込むことです。ところが彼らが亡くなり、信者が増え教団ができるとまた無駄話が始まってしまいました。

 社会の中で生きている限り「行い」はその社会環境の中でしか「行い」得ないものです。変らないのは「行い」の目的だけです。私は今この時代に自分に最適で可能なそして心地よい「行い」を実践していきたいと思っています。その「行い」がなんであるかの答えは人それぞれですし、これを「行い」すれば必ず速やかに「やすらぎのところ」に辿り着けるなどという保証ももとよりありません。「行い」は自分にふさわしい方法を自ら選びとるべきで、人から指示されるものでも、与えられるものでもないでしょう。私は「行い」を続けることそのものが「やすらぎのところ」であり、その永続こそが「やすらぎ」であると信じています。ですから「何を信じ、何を行えばよいでしょうか?」と人から問われ、また自問したとしても「無記」としか答えられないでしょう。

 今回は最後に「無記」という言葉で締めくくったため、

煙に巻かれたような印象を持たれるかもしれません。

「分かったことは分かったままに」「分からないことは

分からないままに」書き続けられればと思っています。

それではまた次号でお会いしましょう。

狂言綺語Ⅷ・・・雨から雨の言葉へ

           初しぐれ猿も小蓑をほしげなり…芭蕉

 すでに初時雨の時期は過ぎてしまい、今は「氷雨」「寒雨」「冬雨」「凍雨」の時節となりました。冬の日の雨は、蓑ならぬダウンを着込んで出かけるのもいいのですが、ただひたすらアナグマのように家に籠るのも悪くはありません。コリーナの山に住む狸も狐ももう冬ごもりをしているはずですね。

 時雨は冬の初めに降ったと思ったら晴れ、また降り出し、また晴れるというように短い間に目まぐるしく変わる通り雨のこと。詩人の高橋順子はエッセイ集「雨の名前」(小学館)で422語の雨の言葉をあげていますが、そのうち時雨だけでも「朝時雨」「磯時雨」「片時雨」「北時雨」「山茶花時雨」「小夜時雨」「雪時雨」など全部で20語があげられているのです。この晩秋から初冬の短いあいだに降る通り雨は、季節の移ろいを、強く私たちに印象づけてきたからなのでしょう。

 紅葉した木々はこの時雨のたびにその葉を1枚1枚散らされて、冬の準備を整えていきます。そして春から夏を過ぎ晩秋まで色彩を変化させてきた自然は、だんだんに色を消していくのです。古人は自然が色を消していく時の移ろいのなかに、滅びゆくものの美、無常のはかなさを観てきました。特に晩秋から冬にかけては、春の再生に向けていったん生命を終える過程を、自然はそこかしこで見せてくれます。この四季のいのちの巡りの中に、風景の一員であるひとは、また”常なきもの“の一員であることを強く意識せざるを得なかったのでしょう。そしてひとは無常の存在であることを受け入れ、この無常の風景と一体になって観たものを、詩歌や物語や歌謡に表してきたのです。

 冬のコリーナでは、低気圧が近づくと明日は雨になるか雪になるかとやきもきします。この冬、コリーナにはどんな雪が降るでしょうか?新沼謙治の唄で確か、”粉雪、粒雪、綿雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、氷雪、津軽には七つの雪が降る“という唄があったと思います。コリーナにも12月から4月初めにかけていくつもの雪が降ります。今期の初雪は12月14日。池の氷の上に早朝うっすらと雪が積もっていました。12月14日のこの雪を私は「たかはらふっかけ雪」と名づけました。

 雨といい雪といい人はなぜこんなにも自分の観たものに言葉を与えたがるのでしょうか?雲や風や水や月や花など風景にかかわる言葉は、この国の中にあふれんばかりです。その豊饒な言葉の数々はその言葉を記し発する人たちの心の豊饒さの証しではないでしょうか。自然を対象化し乗り越えるべきものとして対峙してきた西洋の文化に対し、私たちの文化は自然のなかのひとりとして自然に生かされていることに感謝し畏怖してきた文化なのです。だから雨や雪などの自然は単なる雨や雪ではなく、その人がその中で観た心の風景が「雨」や「雪」として立ち現れてきたものなのです。本来言葉は伝達手段であったはずですから、雨は雨と言えば済むのであり、それが一番確実に伝わる方法なのです。なのに、自分が観た「雨」を自分の観たままの「雨」の言葉にせずにはいられなかったこと、それが古来より日本人の中にある言葉を記すことの「行い」だったように思われます。それはその雨を観てその雨の風景とひとつになり、風景とともに刻々と変わりゆき、一つとして同じものがない「行い」です。自分の観たその「雨」を言葉に記すことは、自分だけの、その風景との一度限りの対話だと思います。だから「雨」の言葉もその人が観た「雨」の数だけあるのです。

 言葉は「観る」ことからしか生まれないのではないでしょうか。自分の観たそのことを自分のものとして感得し、言葉にし、さらに詩歌や物語や歌謡へと表してきたことが、日本人の言葉の歴史だと思います。それは誰かに読ませたいとか、誰かに共感してほしいということではなく、風景と対話し風景と一体化するための「行い」だったのでしょう。「言葉」は実は人同士のコミュニケーション手段ではなく、自分のいのちのありかを観るための方法だったのです。もし聞いてもらう対象があるとすればそれは「かみ」や「ほとけ」や「たま」と呼ばれるものだったのではないでしょうか。つまりそれは自分の力の及ばない他の何者かと感応道交し一体となるための「行い」。だから「言葉」は「行い」そのものであり「言葉」は「行い」からでしか生まれないものなのです。

 雨や雪は日常の中にあります。その日常が「雨」や「雪」の「言葉」となり「行い」となるとすると私たちの生活である「日常」は風景という「無常」の積み重ねの上にあるということになります。

私たちの一見代わり映えしないように見える毎日も、その毎日がかけがえのない無常の流れの積み重ねにあると考えれば、毎日の生活をあだやおろそかには決してできません。

観たままをありのままに「言葉」にする「行い」は、この「狂言綺語」の

原点です。日常の観たことを「分かったことは分かったままに」

「分からないことは分からないままに」また書き続けます。

それではまた次号でお会いしましょう。

狂言綺語Ⅸ・・・中心について

 2018年、新年明けましておめでとうございます。

元旦は365日で太陽のまわりを回る地球が、また新年という出発点に立って365日を新たにやり直す日です。24時間の1日を毎日365回繰り返してやっと1年たったと思ったら、また繰り返しの出発点に戻って来てしまったと思うか、その繰り返しのように見える日常は、らせん状に上昇して昨日と違った24時間、昨年と違った365日が始まる日と考えるか、天と地との差であることは言うまでもありません。地球は自らの地軸を中心にして24時間を一回転し、太陽を中心として1年を廻っています。それでは私たちは何を「中心」に1日を繰り返し1年を繰り返し、一生を繰り返しているのでしょうか?

 「自灯明、法灯明」という仏教用語があります。弟子たちがお釈迦様の死を間近にして「お釈迦様が亡くなられたあとは私たちは何を頼りに生きていけば良いのでしょうか?」と心配していると、お釈迦様は「自らを灯明とし、自らを頼りとし、他のものに依存しないで生きなさい。法(真理)を灯明とし、法を頼りとし、他のものに依存しないで生きなさい。」と言われたと伝えられています。「他人の権威に寄りかからず、自分で考え自分で何が正しいかを見定め、自分の判断で行動しなさい。その判断基準は『法(真理)』つまり物事のありのままの姿をありのままに捉えることです。」と言われているのです。「灯明」とは真実を照らす大いなる明かりであり、それは他から与えられる明かりではなく自らが自らを照らす明かりとなりなさいと教えているのです。この教えは一見分かりやすくなるほどと思えますが、これは仏教の根本に関わるとても重要な教えではないかと私は考えます。

 原始、人類は太陽を中心とし、頼りとし、神とし、生きてきました。太陽は人類共通の信仰と崇拝の対象であり「中心」であり「大いなる灯明」であり「真実」であり「神」であったのです。原始的な信仰形態は人間社会の形成と複雑化の過程の中で、それぞれの民族、自然、社会形態に合った宗教を生み出してきました。信仰対象は「太陽」から「唯一神」、「超越者」、「ヤハウェ」、「ロゴス」、「聖書」、「アッラーフ」、「コーラン」、「久遠実成の釈迦牟尼仏」、「法華経」 など言葉や対象を変え人々のあいだで分化してきましたが、その対象は「信仰」を必要としているひとたちのそれぞれの「中心」であることには変わりはないのです。

 学問的な検証も哲学的な思惟も経ない結論で反論も多いかと思いますが、私は信仰の本質は崇拝すべき「中心」を持つことだと考えます。「中心」は「柱」や「核」と言い換えても良いかもしれません。それは私たちが揺るぎないもの、変らないものとして、頼り、寄りかかり、信じ、預け、投げ出すことのできる、確固たる「中心」です。私たちの日常はその中心に向かって同心円状に生活し、その中心との距離を縮めていき、その中心といつかは必ず一体化できることを信じて生活しているのです。それが信仰を生きることの本質ではないでしょうか?私にとって「中心と一体化する」ことは「やすらぎのところにたどりつく」ことです。信仰対象つまり中心をどこに置くかによってそれは天国であったり西方浄土であったり救いの日であったりするのでしょう。

 「自灯明、法灯明」に戻ります。今までの話の流れからすると「灯明」は「中心」です。とすればお釈迦様は「自らが中心になりなさい」と言っているように私には聞こえるのです。これは大変なことです。信仰は信ずることであり何かに頼ることであると思っていたら、お釈迦様は他のものに頼るな、自らを頼りとせよと言っているのです。せっかくお釈迦様に頼ろうと思っていたのに、私が死んだら「法」と「自ら」以外に頼るなと言っているのです。しかもその「法」は自らがありのままの姿をありのままにとらえることによって捕まえるものだと言っているのです。さて自らが中心となる、という大それたことを考えることも行うこともできないと思っているから、信仰があると思っていたのに、何か突き放されたような気持ちにもなりますね。どうしたものでしょう。

 私はこのようなときはシンプルに考えるようにしています。お釈迦様の言葉を素直に聞くことです。

私たちの自らの灯明は吹けば消えてしまうような、はかない心許ない灯明かもしれません。でもその灯明を常に消さずにともし続け、その灯明の指し示すところが中心であると信じて「行い」を続ければ、必ず「中心」にたどり着くことができると信じるのです。ときには消えてしまったと見えるかもしれません。他人の示す灯明の方が明るく魅力的に見えることがあるかもしれません。それでも今、自らが照らし出す灯明の場所が、今の自分自身の中心であると信じて、24時間・365日の日常を過ごすこと、自分がどこに立っていようと、今自分が立っている

場所が、今の中心だと信じること。私はこれを

今年の「行い」の灯明として、当たり前の日々を、

当たり前に過ごしていきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

狂言綺語Ⅹ・・・見ること見られること

 琉游舎の窓から高原山の頂が見えます。晩秋まではコリーナの自然に囲まれて全く見えなかった頂が、冬になってすっかり葉っぱを落とした木々の枝の間から雪をうっすら被った姿を見せてくれます。ポコンポコンポコンと3つの頂の真ん中が鶏頂山。高原山が望めるどこから見ても鶏の頭に見えてどこかユーモラスなたたずまい。右側のとんがった頂が高原で一番高い標高1795メートルの釈迦ヶ岳。いずれも信仰の山です。鶏頂山山頂には鶏頂山神社が祀られ、釈迦ヶ岳山頂には祠と私の背丈より高い釈迦如来像が安置されています。

 関東平野北端のこの地から、晴れた日には西から日光の男体山女峰山、北に向かって高原山から那須の茶臼岳、東方に目をやると八溝山、南に目を転じると筑波山と北関東の信仰の山々が、その姿でそれとすぐわかるたたずまいを見せてくれています。古来からこの土地の人はこの山々を見て、日和見をし、自然の恵みと農作物の豊作を願い、また自然を恐れ感謝してきたのでしょう。そしてこの山々が人々の姿をちゃんと見てくれたことの感謝のしるしとして、その山々の頂上には神社やお寺が創建され祀られているのでしょう。この1年余りの間に私は鶏頂山と釈迦ヶ岳の頂上に3回行きました。山頂の足元からすとんとおちた爆裂火口の先に、関東平野が一気に広がっていきます。コリーナは塩谷から大槻、喜連川へと続く山裾から丘陵地帯への連なりの中にあり、その南側を流れる荒川の南岸からはただひたすら平らで広大な関東平野が望めるのです。私は頂上から必ず、雄大な景色の中をピンポイントで「あの山のあそこが琉游舎」と見ます。私が毎朝琉游舎の窓から高原山の頂を見て、あの頂のあの場所に立つ自分自身を見るように。

 私たちは日々の生活の中で何を見ているのでしょうか。ひょっとしたら見ているつもりになっているだけで、何も見てはいないのではないかという恐れが常に私に襲いかかります。この地で信仰生活に入り1年、誤解を恐れずに言うならば、今までの生活の中では見えていなかったものが見えて来るようになりました。それは目の前に存在していたのに、見ようとしなかったことであったり、視点を変えることで違う見え方が現れたと言うことに過ぎないかもしれません。まただからといって今まで見てきたものが誤った見方だったとも思いません。よりいっそう鮮明に見え、また見えるものが増えて、生活と心が裕福になった気がするのです。そしてかつてより気持ちが穏やかになっていることを感じるのです。どうしてそうなったか、一つ言えるとしたら、「自ら計らない、自ら分けない」と言うことを心がけているからだという気がします。見たいものだけを見て、見たくないものに目をつぶれば、あるがままに観ることにはどうやってもたどり着くことはできないでしょうから。

 ところが世の中見たくないもの、目を覆いたくなるものばかりです。そして目に入ったら心が乱されてくる、何か言いたくなる、怒りたくなる、その繰り返しが日常だと言ってもいいでしょう。そこで提案です。「見る」ことは「見られる」ことだと考えてみればどうでしょう。するとこの心の乱れも相手からも見られてもいるんだなとなり、それは相手を鏡として自分の心の乱れが相手に投影されているのを見ることになると思うのです。そうすると心が乱れたこともばからしくなりますね。鏡に向かって小鳥が一生懸命自分の姿をくちばしでつついて攻撃しているようなものなのですから。

 「見る」ことは「見られる」ことであり、そして「観る」ことはまた「観られる」ことでもあるのです。何を根拠にこのことがいえるかと問われても、「信」のことは「理」で論証のしようがありません。私が毎朝琉游舎の窓から高原山の頂を見るとき、その頂から自分自身が見られていることを強く感じます。山から促されてそこに心と体が向き合うとき、山を見ていると言う感覚が起こるのです。山から見なさいと促されること、つまり山から見られていることを感じてはじめて山を「見る」ことができるのだと思います。これは山に何か神聖なもの、根源的な力を感じるからではなく、私たちにとって山は山をあるがままの山として見ることが比較的簡単にできる対象だからなのです。対象が人であれ、自然であれ、また行為であれ、それを「あるがままに見る」ことができたとき、その対象はあるがままに私たちに語りかけ、あるがままの姿を顕わし、あるがままの私たちを見てくれるのではないでしょうか。それが「見る」ことの本質のような気がします。「見ることは見られること」それは対象と「信」で一つになり心が自由に安らかになること。そして「見る」と言う行為が「観る」という「行い」になること。「観る」という「行い」は「観られる」ことによってはじめて成立すること。なのです。

 コリーナは山の中にあるため、上に記した北関東の信仰の山々を一望できません。

一望できる私のお気に入りの場所は氏家から北に向かう

大宮街道の途中にあります。冬の晴天の日ばかりでなく

雨の日も曇りの日も、そこで私は山々に思う存分

見られる存在になりたいと思います。

それではまた次号でお会いしましょう。

狂言綺語Ⅺ・・・地獄極楽

 今回は地獄と極楽についての話です。私は教訓めいた話は苦手ですし、好きでもありません。教訓は他人から与えられる倫理観だと思っていますので、もうその時点でありのままに観ることができなくなってしまいます。また地獄や極楽などの死んだ後の他界についても全く興味がありません。お釈迦様が言われたようにこの件は私も注1無記です。僧侶なのに人の疑問や悩みに答えないで「無記」などという無責任なことがよく言えるなと、自分でも思います。しかし思ってもいないことをさもあるかのように話して人をたぶらかしたり、「こんなことしたら地獄に落ちるぞ」と恐喝するよりはまだ無責任の方がましかなと思っています。

 法話などでよく話される「地獄と極楽の箸」という教訓話があります。元の話はどうやら出雲の民話らしいのですが、こんな話です。“ある人がのぞき見た地獄の食事風景。地獄の住人のテーブルには大層なご馳走と長さ1メートルほどの箸が並んでいます。 地獄の人たちは、その長いお箸を使って、食べ物を自分の口に運ぼうとしますが、長すぎて食べることができません。必死にな って口までもってこようとするのですが、一口も食べられずに苦しんでいます。そして食事の時間が終わってしまい誰一人食事をとることができませんでした。次に極楽をのぞいてみると、ここも同じようにテーブルには大層なご馳走と長さ1メートルほどの箸が並んでいます。 ただここでは自分で食べようとせずに、向かいの相手 に食べさせてあげるのです。食べさせてもらった 人は、お返しに相手の口に食べ物を運んであげています。互いに食べさせあうことで、幸せで楽しい食事の時間となっていました”とさ。

 この教訓話は分かり易いですね。「自分のことだけ考えて行動すればそこは地獄」「他人のことを思いやって行動すればそこは極楽」しかし私は教訓話は苦手で嫌いですと言った手前、ここで「地獄も極楽もあなたの心の働き次第です。だから人の為に行動すればそこはもう極楽なのです」というような道徳先生になるつもりはありません。「人の為に行動する」という言葉にはどうしても自己満足と偽善の臭いを感じずにはいられないのです。広辞苑には『為にする:ある目的を達しようとする下心があって事をおこなうのにいう。』とあり、詩人の吉野弘は『人の為とは偽りさ』注2と詩に書いています。

 私は地獄の住人は何故、箸を使うことにこだわり、手づかみで食べることをしなかったのだろうかとついつい不道徳なことを考えてしまいます。箸で食べることが規則だからと言われても、そもそも地獄の住人は規則を守らず悪いことをしたから地獄に住んでいるのです。もちろんこんなことを言ったらこの教訓話は成り立たないのは承知の上でのいちゃもんなのですが・・・。現実世界では地獄と極楽が別々にあるのではなく、ある人にとっては極楽であり、ある人にとっては地獄なのです。極楽の住人になりたかったら時には地獄の振舞いをしなければいけないでしょう。みんなが長い箸で食べることにこだわっている中で、一人だけ手づかみで食べたり、箸を半分に折る工夫をしたり、あるいは相手に先に食べさせてもらって、後は知らんふりというような行動をした人がどうやら自分なりの極楽を勝ち取っているようです。正直者や真面目で不器用な人間、人の言うことを信じてしまう人にとってはこの世界はどちらかと言うと地獄で、地獄の振舞いができる人には極楽と言う、とてつもないパラドックスが起こってしまうのです。もちろんお釈迦様の教えは、地獄の振舞いで得た仮の極楽は本当の安らぎのところではなく、いつでもそれは地獄に変わるものだと言っているのは承知の上でのいちゃもんです。

 さて、立派な法話がなにやら正直者は馬鹿を見るような話にも見えてきてしまいました。自分なりの極楽を得ようと思っている人間にはこの教訓はとても都合の良い話になり、みんなと一緒に同じ極楽を得ようとしている人にはとても残念な話にすり替わることができるのです。私が物を斜めからや横から見たがる性格だと言われればそれまでですが、視点をずらすこと、見方を変えることで、「ありのままに観た」とわたくしが言っていることが、本当に「ありのままの姿」であり「安らぎのところに」辿り着くための「行い」になっているかどうかの確認をしているのだとも言えるのです。 

 仏教の教えはとても危険な教えです。ある社会的立場をもってその教えを説くとき、それは簡単に権力となります。日常生活(娑婆世界)の中に地獄も極楽もあるという教えは、教える側(僧侶や先生)や指示する側(権力)からみるととても都合の良い教えであり、それを無批判に受け入れた教えられる側は、地獄と極楽を人質にして行動をコントロールされてしまう危険が大きいのです。お釈迦様の教えは教えられるものではなく、自らの「行い」によって感得していくものだと信じています。もし私に何か出来ることがあるとすれば、それは教えたり与えたりすることではなく、一緒に歩くことです。

一緒に歩くことは、一緒に「行う」ことです。「地獄や極楽はあるの?」

という疑問も、ひょっとしたら一緒に歩いていくことで、

何か観えてくるものがあるかもしれません。

それではまた次号でお会いしましょう。(出琉)

注1:「無記」詳しくは琉游舎だより第15号をご覧ください

注2:人偏に為で「偽」という文字になる

狂言綺語Ⅻ・・・願い誓い行う

 節分を過ぎたら夜明けが急に早くなってきました。まだ吹く風は冷たいのですが、日ざしが少し柔らかくなってきたような気がします。鳥の鳴き声が心なしか華やぎ、草木の小さな芽吹きが少しずつ風景を色づかせているようです。ずっとこのまま冬の方が良いなどという人はいないと思いますが、私たちが春を作り出しているわけでもないのに春は間違いなくやって来ます。私たちには春を作る力はありませんが、春を願う気持ちはあるからなのでしょう。

 「不求自得」という言葉があります。この言葉が語られる仏教の文脈は「求めずして 自ずから得られる利益(りやく)」と言うことです。「利益」はいろいろな解釈ができます。たとえば仏さまの真実の教えだったり、信心によって得られる不思議な奇跡体験であったり、それこそ宝くじに大当たりするような現世利益だったり。これと全く正反対のような言葉に「求不得苦」があります。これは四苦八苦の一つで「求めているものが得 られないことから生じる苦しみ」を言います。求めないことで手に入るものがあるかと思えば、求めれば手に入らず逆にそれが苦しみとなると言われ、こんがらがってしまいます。私たちは「求めるべきなのか?」「求めざるべきなのか?」

 「求めよ、さらば与えられん」有名な聖書の言葉ですね。この教えは私には「神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう、そして物事の成就は祈り求める正しい信仰によってかなえられるだろう」という教えに聞こえます。ところが「不求自得」は「求めるな、さらば与えられん」というように私には聞こえてしまうのです。本来ならこの言葉が説かれた文脈に沿って解釈すべきなので少しだけ原典を引きます。法華経信解品に「無上宝聚不求自得」という一節があります。「無上宝聚」は仏さまの真の教えのことです。「この上もない真の教えは求めるのではなく、自ずから得られるものである」と説かれているのです。さあ分からなくなってきました。なにもしないこと、計らないことによって仏さまの真実の教えを得られるとしたら、人には努力とか希望とか頑張るとか言う言葉は必要なくなってきてしまいます。その点キリスト教の世界はとても分かり易いですね。「求めたら与える」と言うことは「求めないとあげない」と言うことです。そこには絶対者は求めるものには等しく与えるが、その等しくは祈り求める側にも等しく求められているものがあるようです。裏返すとそこには努力と信仰の強さが要求されているのです。絶対者への帰依を前提とし、理性と論理によって自己と他者を厳しく峻別する二元論の考え方です。現在の世の中を形作っている西洋的合理主義、資本主義の土台となる世界観です。

 キリスト教で言う「求める」は絶対者と人が向き合って「求める↔与える」という相互の関係性の中で語られる言葉のようです。ところが仏教で言う「求める」は仏さまと人が向きあっているのではなく、仏さまも人も同じ方向を向いて求めているような気がするのです。その同じ方向を向いている先にあるものは悟りの世界であり、やすらぎのところなのです。仏さまは私たちの導師です。やすらぎのところへ導いてくださる船長さんです。天上のどこかにいて「私を求めなさい。さらば私はあなたにそれを与えよう」と言う絶対者ではなく、私たちの傍らにいて一緒になって歩き見守ってくれる同行者の隊長です。仏さまの照らす真理の光(法灯明)注1と、自らの信心の強さが照らす足下の光(自灯明)注2を頼りに歩む私たちの「行い」を、ときには一歩先に立って頑張れと叱咤激励をし、あるいは後ろからへこたれるなと背中を押し、あるいは傍らにいて教えを楽しく語らい授けながら、私たちの歩みに寄り添いサポートしてくれる慈悲深い両親なのです。

 「不求」は自分の計らいによる何かを求めないと言うこと。自分の考える悟りやもののありのままの姿は果たして仏さまの考える悟りでありありのままの姿であるかどうか、これは仏さまだけが知っていることです。だから私たちは自分が計らったものを求めてはいけないのです。それは間違ったものを求めているからであり、真理ではないものを求めても、もとより与えられるはずもなく、その結果求めたものが得られないことに苦しんでしまうのです。これが「求不得苦」。逆に正しい教えは仏さまとともに「行い」歩んでいけば求めずとも自ずから得ることができます。これが「不求自得」。

 「不求」はあくまでも我見によって何かを求めるなと言うことです。「衆生無辺誓願度」という四弘誓願の一節をきいたことがあると思います。これはすべての人を悟らせようという仏さまの誓いです。仏さまの誓いは私たちの願いそのものです。私たちが求めるべきことは欲求でなく「願い」です。他の求めは我欲による欲望です。だからそれは求めても与えられるわけもなく苦しみだけが残るだけなのです。「願う」ことは「誓う」こと「誓う」ことは「行う」こと。

私たちが「願う」ことによって与えられるものは

日々のかけがえのない日常の「行い」なのでしょう。

それではまた次号でお会いしましょう(出琉)

 注1、2:「法灯明」「自灯明」は琉游舎だより第17号をご覧ください

狂言綺語13・・・自然(じねん)

1月に降った雪が北側の斜面ではずっと融けずに残ってもう一ヶ月になります。ところが2月の下旬に降った雪は春雪。1日であっという間に融けてしまいました。そのようなわけで今もコリーナの所々に見られる雪は1月の冬雪です。自然が毎年そっくりそのままコピーされるわけではないにしても、これも毎年繰り返される同じような自然の時の流れの一コマなのでしょう。

 山や海などの環境やひと以外の生きものなど、人為が加えられていないものを私たちは「自然」と呼びます。「自然」は「しぜん」と読みます。何をいまさらと思われるかもしれませんが、実は明治以前は「自然」を「しぜん(漢音)」ではなく「じねん(呉音)」と呼ぶ呼び方が優勢だったようなのです。古代の日本人は山や海などの自然の姿に神を観てきました。平安貴族は山川草木の自然の移ろいに無常を観てきました。明治以前の日本人が持っていたのはこのような精神的な自然観だけで、明治時代に輸入された客観的・自然科学的な自然観=「nature」はなかったのではないかと考えます。「nature」の訳語として探し出されそこに科学的な自然観を背負わされたものが、現在私たちが日常的に使用している「自然」という言葉なのではないでしょうか。

 そこで今回は「nature」の訳語としての「自然」ではなく明治以前の「自然(じねん)」について少し考えてみます。日本に仏教が渡来したときお経はすべて漢音ではなく呉音で唱えられました。ですから中国からの輸入語である「自然」も呉音の「じねん」と読まれました。これを読み下すと「自ずから然る(おのずからしかる)」です。これは、おのずからそのままそうであること、あるがままのすがたということです。人為が加えられていないありのままのすがた、それはお釈迦様の言われる、物事をありのままに観ることによって感得できるそのものの真実のすがたであることを意味しています。仏教用語で言えば「実相」です。日本人にとって本来「自然」という言葉は、山川草木という自然環境も含めた宇宙のありように対してのとらえ方を表すとても精神的思惟的な言葉なのです。

 法華経嘱累品第22の中に「能与衆生 佛之智慧 如来智慧 自然智慧」という一説があります。佛の智慧は実相を見通す真実の智慧。如来の智慧は衆生を救う大慈悲の智慧。自然の智慧は自ら心の中に生じた信仰の智慧。この3つの智慧を仏様は私たちに授けてくださると述べられているのです。どのような宗教であろうともその根本にあるものは「信」です。そして「信」を全うするためには「智慧」が必要です。「信」という宗教の心臓を動かし続けるために必要なエネルギーが「智慧」であると言ってもいいでしょう。その「信仰の智慧」は「自然の智慧」であると説かれています。誰からか与えられるわけでもなく強制されるわけでもなく、計らいを捨てて、あるがままに身を置くことによって、自ずから然らしむ自然の智慧です。ところで「信」は自然に得られるものであるなら、信ずる誰かにひたすらすがってお祈りすればいいと考えることもできます。仏さまはそこに智慧が必要だと言われているのですが、でもその智慧も自ら計って得られるものではなく、自然の智慧だと言われています。だったらやっぱり何もしないでいいのではないか、自分たちを導いてくれる誰かにおすがりすればいいのではないかとなってしまいがちです。でもそれは果たして「信」でしょうか。

 私は「信」とは「願い、誓い、行う」ことだと考えます。「自然」はもののありのままのすがたです。私たちがそのすがたをありのままに観ることを「願い」、ありのままに観ることを「誓い」、ありのままに観ることを「行う」ことそのものが「自然」なのです。「信ずれば自然にあなたには与えられるものがあります」と言うような文言はもうすでに「自然」ではありません。それは与えられる「こと」や「もの」のために信じているのであり、仏さまの「教え」を「願い、誓い、行う」ことつまり「信」とは似て非なるものです。明治以前まで「自然」という概念は肯定的、否定的両方の評価があったようです。大雑把な要約ですが「自然=何もしなくていい」となれば否定的、「自然=教えへの信」となれば肯定的、と言うことでしょうか。「教えへの信」がない「自然」はもう「自然」とは言えないのです。

 私たちの慣れ親しんだ自然(しぜん)という言葉は環境と言い換えてもいいでしょう。自然(じねん)はその環境をも包括した宇宙のありようそのものを表す言葉です。日本古来の主体的で精神的な「自然観(じねんかん)」をもってもののありようを観ることができれば、環境や社会そして日々の私たちの生活すべてが「ありのままのすがた」=「自然」として立ち現れてくると私は信じます。

 山芋のことを自然薯(じねんじょ)と言います。あるがままに山の土の中に生えて、一つとして同じ形のない作物。私は今ここにあることが「自然」であると観ることで

日々を過ごし、ここ琉游舎のこの場所が「自然処(じねんじょ)」

と呼ばれる処でありたいと考えています。

それではまた次号でお会いしましょう(出琉)

 

 

 

狂言綺語14・・・変化(へんげ)の人

 ついこの間まで青く刺すように澄んでいた空気に、ここのところ、一枚フィルターをかぶせたような靄(もや)がかかりはじめてきました。杉の花粉でしょうか、ベランダの手すりがうっすら黄色くなっています。ああまた花粉の季節が来てしまったという人もあれば、芽吹きの春がやって来た!と言う人もいる季節の変わり目です。入学や就職や転勤と春は多くの人にとって社会的な変化の季節でもあります。変わり目は私たちにとって未知の世界へと踏み込む希望と不安の交差する場です。四季の変化を含めて私たちの生活はことあるごとにこの変わり目の場に立たされて、その後の変化の相に心と体を順応させながら生きてきたのだと思います。いやひょっとしたらその変化する相を生活の中に積極的に取り入れて変化のサイクルと共存しながら生活してきたのかもしれません。

 「則遣変化人 為之作衛護」これは法華経法師品第十の中の一節です。前の部分を追加して要約すると「もし法華経を信じる人を武器を持って害する者があれば、私は(仏)変化の人を遣わしてその人を護衛するであろう」となります。ここでいう「変化(へんげ)の人」とは、仏の神通力によって作り出された人間の姿をした仏の化身です。このインド仏教の考え方が日本に入ってくると独自の展開を見せていきました。「変化の人」は「権化」とか「権現」とも言われました。特に本地垂迹説においては仏が衆生を救うために日本の神の姿となって現れたと考えられ、日本古来の神様は仏の「変化人」「権化」として 位置づけられた時代が明治維新まで続いたのです。これだけの説明で結論めいたことを言うのは早急なのですが、日本人は「変化」という現象を生活のサイクルの中に上手に取り入れて、その変化にうまく合わせながら生きることが得意な人達だったのではと私は考えます。 

 当初「変化の人」は仏の化身の意味だけに使われていたようですが、その後、転じて化け物や妖怪にも使われるようになりました。「其の女は変化の者などにて有りけるにや(今昔物語)」「もし、狐などのへんげにや(源氏物語)」など多くの例があります。どうやら日本人は合理的に解決できない不思議な現象を何か形のあるものやイメージできるものに変化させて、それを恐れたり敬ったりしてきたようなのです。河童は泳いでいる人を水中に引き込みおぼれさせる妖怪として恐れられる一方、水の神様としても祀られています。このように妖怪を神様に変化させることも、時には功徳がないという理由で守護する立場から害をなす立場に変化させることもしてきました。最初は怨霊として恐れられていた菅原道真が、北野天満宮に祀られて今のように篤い信仰の対象となった変化の流れを見ていくと、「自然災害や恨みをもって死んだ人間は怨霊となり人にたたる。その怨霊を鎮めるために神社を建て祀って、逆に私たちを守護する神へと変化させていった。」という、日本人の神や仏に対する変化のさせ方の典型を観ることができるでしょう。

 自分の力の及ばないものに対して、それに立ち向かって征服するのではなく、その現象を観念の中で変化させて自分たちの生活の中に取り込んでいくことに長けていた人達、それが私たちの祖先なのです。戦前の守護神であった絶対主義的天皇制が、戦後、悪魔であったアメリカが与えた民主主義に、守護神の座を平和的かつ友好的に譲った変化をもって、変わり身が早いとか、節操がないと言う非難は間違っています。日本人は神・仏・霊・怨霊・妖怪や自然、そして社会体制すらも変化の中に取り込んでその変化のサイクルの中で自由自在に往来させる知恵を持った人達であるとみるべきなのです。

 キリスト教的世界観では「神」が「魔」に、あるいは「魔」が「神」に変化することは絶対にあり得ないでしょう。神と魔は対立概念であり、人は対立の中間に立って神や魔と対峙して生きていかなければならない存在です。ところが日本では「神」と「魔」の往来は自由自在なのです。魔を神に変えることも神を魔に変えることも、そこに関わった人達の自らの心と社会の有り様のままに変化させてきたのでしょう。神・仏・怨霊・妖怪をひっくるめた存在をもし霊という言葉でくくれるとしたら、私たちの霊は常に私たちとともに共存し見守ってくれる存在なのです。人がたまさかその霊に対する尊敬を欠いたり、霊の意に沿わない行動をしたとき、私たちはお仕置きをされるのです。現実社会で共同体の長老や親が、行為の間違いを正してあるべき方向へと導いてくれる存在と同じなのです。

 日本においては怨霊や妖怪までもが「変化の人」となっていることに、さぞやお釈迦さまは驚かれることだと思います。しかしこれが日本人の仏教の受容の仕方なのです。宗教だけでなく外来の思想や技術・文化も日本に受容されていく過程で「変化の人」と同じ過程をたどってきたのではないでしょか。

私も日々これ「変化の人」でありたいと思っています。今ここにあるものを、質直に心柔軟にあるがままに観ていくこと、それは常ならない日常の変化をそのままに生きていく行いそのものです。

「さて今日は何に変化しようか、たまには妖怪に変化するのも

悪くはないかな」などというあらぬ想念に憑かれる前に

今回の筆を納めたいと思います。

それではまた次回お会いしましょう(出琉)

狂言綺語15・・・諦める

 恐る恐る出した芽で風の穏やかさを探っていた植物や、きょろきょろと様子見をして餌のありかを探っていた鳥たちが、春分の日を境に自信をもって存在を主張し始めたようです。人間も生き物の発散する音や色や臭いなどの生命力に圧倒されないように、自らの生のエネルギーを外に向かって発散する時がやってきました。冬の寒さにさらされるほど桜の開花が早くなること、これを休眠打破と言うようですが、今年の冬は寒さが平年よりも厳しかったようなので、すべての生き物は、冬の休眠期間中にたっぷりと蓄えたエネルギーを、一気に打破して、今この時あふれんばかりのパワーを放出しているはずです。

 「青春、朱夏、白秋、玄冬」という言葉があります。人間のライフサイクルを季節の移り変わりに重ね合わせた言葉です。青春は緑の芽吹きの時、未熟だが勢いと希望に満ちあふれた青年たちです。朱夏は真っ赤に照りつける太陽の時、人生の盛り真夏の成年。白秋は天命を知り人生に深みと落ち着きが出てくる中年。玄冬は安らかな場所を定めて、心置きなく彼岸へと向かう老年。「春夏秋冬」という一年のサイクルを何度も繰り返しながら「青春、朱夏、白秋、玄冬」という一生のサイクルを全うする。これは人の生きるあり方の一断面です。季節の移り変わりのサイクルのように、私たち人間も規則的な自然の摂理に任せて一生を過ごすことができれば良いのですが、なかなかうまくはいきません。かく言う私も本来ならば白秋の時なのですが、今の自分の体力・気力・智力をあきらめることなく、毎日「青春ー朱夏ー白秋」の間を行ったり来たり右往左往、悪あがきをしているようです。

 人はあきらめの悪い生き物です。人以外はとてもあきらめの良い生きものです。自然や社会や他者に時には抗い時には協調しながら何とか自分の生きる場所を確保していこうとするのが人間。与えられた自然や社会や他者との環境を自分の生きる場所とさとり生きていこうとするのが人以外の生きもの。「あきらめる」は「諦める」と書きます。望んでいたことの実現が不可能であることを認めて、望みを捨てる。断念する。 と言うような意味合いで使われる言葉です。とてもネガティブな言葉ですね。言葉は長いあいだ使われていく過程で原意が変っていき、変わった結果がその言葉の新たな意味になってしまうことは良くあることです。言葉の変遷のその過程を忘れてしまうのです。「諦める」は「あきらかにする」「つまびらかにする」が原意です。仏教で「諦」の字は「真理」「真実」という意味です。「諦念」は「道理を悟って迷わない心」をいいます。「諦念」=「あきらめの気持ち」は「悟りの心」と言うことです。私たちが現在使っている「あきらめの気持ち」にはどこか投げやりな夢も希望もないという心が裏に透けて見えてしまいますが、本来は、すべてをありのままに観ることによって真実をあきらかにし、心安らかになることを意味している、とてもポジティブで主体的な言葉なのです。

 なぜポジティブがネガティブに変わってきたのでしょうか。この意味の変遷の思考プロセスを自分なりにたどってみます。「諦める」ことで物事の真理や道理が「明らかに」なる時、それは自分の欲望が実現できない理由が明らかになる時でもあります。そもそも欲望は執着と無知と貪りの心からおこる煩悩なのですから、「諦め」れば「諦め」るほどその欲望が達成されない理由は「明らかに」なります。そしてその欲望は仏さまの言われる真実の姿、正しい教えとは正反対のものだと納得しその欲望を断念し「あきらめる」のです。「諦め」ずに「あきらめる」だけならば悔いや恨みや愚痴だけが残り、愚かな私たち人間はまた新たな欲望を求めて、「諦め」ずに「あきらめる」ことを繰り返すのです。その繰り返しのプロセスの中で人は欲望を実現するために、努力し科学を発展させ、戦いをし、破壊してきたのです。人はあきらめの悪い生きものですから、無知と貪りと怒りという煩悩の海を何とか溺れないようにと、必死になって手足をばたばたさせ、もがき苦しんでいるのです。「諦め」ればその煩悩の海から上がって、やすらぎの岸辺で心穏やかな日々を過ごせるはずなのに。

 「諦める」は「願いを自覚」すること。「あきらめる」は「願いを放棄」すること。仏さまの願いを明らかにしそれを自分自身の願いとして誓い行うことが「諦める」こと。自分の欲望がかなわないことが分かりその欲望を放棄することでまた新たな欲望に向かうことが「あきらめる」こと。「欲望」はどこまで行っても欲望で決して願望にはなりません。「願い」「誓い」「行う」ことにはならないのです。ただ「願望」と「欲望」の区別はなかなかつけ難いので、「あきらめる」ことは簡単にできるのに「諦める」ことは困難なのです。なぜなら「人はあきらめの悪い生き物」なのですから。

 「あきらめないで」と唄った歌は数多ありますが「あきらめましょう」と唄った歌は寡聞にして聞いたことがありません。やっぱり人は「あきらめない」で前へ前へと立ち向かうことが好きな生き物なのですね。私も自分の体力・気力・知力をあきらめないで、「願望」と「欲望」の間を

行ったり来たりの悪あがきの毎日を過ごして行くことが

「諦念」への近道と信じて、今回の筆をおきます。

それではまた次号でお会いしましょう。(出琉)

狂言綺語16・・・善知識

 桜吹雪がイメージする光景は人それぞれですね。かつては4月の入学式の光景だったものが、最近の温暖化で3月の卒業式というイメージもあるようです。「ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの もちづきのころ」西行はこの歌の通り、桜の花の下、満月のころ、無常のままに生きた生涯を終えました。坂口安吾は「桜の森の満開の下」には魔物が住むと物語りました。コリーナのサクラは3月29日に開花したと思ったらあっという間に満開になって、年度をまたいで、花吹雪とともに慌ただしく散っていきました。桜に別れを思うのか、新たな旅立ちを思うのか、無常の象徴なのか、希望の象徴なのか。相反するものの間にあって桜は私たちの心をざわつかせる存在のようです。日本人にとって、桜吹雪は冬から春へと変わる舞台変換の緞帳の役目を果たしているようです。冬の季節の色をあっという間に満開の桜色で消し去り、その桜の花びらを派手に散らすことで、新緑の春色に塗り替えます。それは同時に季節ばかりでなく社会的環境変化の緞帳の役目も果たしているのです。私たちにとって、入学入社異動など新しい社会環境への移行に、この桜吹雪の舞台装置はなくてはならないものなのでしょう。

 「善知識」という言葉があります。仏教では「善き友、真の友人」「仏教の正しい道理を教え利益をあたえて導いてくれる人」を意味します。法華経に「善知識」という語彙が頻繁に出てきますが、その意味を確認することなくただ「良い知識を持っている人」くらいの意味だとずっと思っていました。読み進めるうちにどうしても「善知識=善き友」とはシンプルには理解しがたくて、いろいろな辞書をあたってみたところ、一般的に私たちが使っている「知識」は「智識」と表記することが多かったようで、「知識」の漢語の本来の意味は「友達」だったようなのです。だから「善知識」=「善き友」なのです。ちなみに岩波の仏教辞典には「知識=友人」以外の説明は載っていません。この60年間私は「知識」について何の知識も持たないまま知識を振りかざしてきたということが、図らずも明るみに出てしまいました。

 経典によってさかしらな知識に「知識」の正しい意味を与えられたとたん、私は仏教のことが知識ではなく実感として感じられるようになりました。原始経典の中でお釈迦様はこのようなことをおっしゃっています。「善き友を持ち、善き仲間の中にあると言うことは、この道のすべてである」これはお釈迦様が弟子に対して「やすらぎのところにたどり着くための道は善知識とともにあることそのものだ」とおっしゃっているのです。弟子たちを天の高みから教え諭して、こちらに来なさいと呼んでいるのではなく、今一緒に居るこの仲間たちとともに相携えて道を歩んで行こうと言われているのです。ですからお釈迦様は弟子たちにとってはもちろん善知識なのですが、弟子たちもお釈迦様にとっての善知識であり、お釈迦様は指導者ではなく皆と平等な、お互いを善知識と認める同行者なのです。

 仏教はこのような成り立ちが故に、西洋的な宗教概念は当てはまらないようです。お釈迦様が悟り、教示された「教え(法)」を信ずることただその一点で宗教として成立しているのであり、何らかの神性や救済の力がお釈迦様に付与されているわけではありません。キリスト教徒は神の恩寵を受ける身としては平等であり、そこには区別も差別もありませんが、ただ彼らの上には天にまします神があり、その神によって使わされた仲保者としてのキリストがあるのです。お釈迦様とともに歩む人たちの上には何もいません。神も仲保者もなく、教祖であるお釈迦様でさえも、同行者の一人、善知識の一人にすぎないのです。

 仏教は危険な教えであると何度か書きましたが「善知識」にもそれが言えるでしょう。絶対的な神から罰を与えられることもないし、神の指示のもとに行動を規定されることもない、純然たる自由が仏教にはあるのです。「教え」を「智識」として受容すれば、解釈が生まれ、判断が生まれ、放逸無法への危険な道も開けてしまうでしょう。だから「教え」を同行者として「行い」続けることが求められるのです。ひたすらお釈迦様の「教え(法)」の明かりを信じ、自らの足で「教え」とともに「行い」続ければよいのです。ひれ伏して恩寵を願う相手も頼るべき仲保者もない中で、頼るべきはともに歩む善知識だけです。

 私はこの生きている社会そのものとそれを構成する人や自然や環境すべてを善知識と考えたいと思います。今ここにあることが「行い」であるならば、その同行者は自分以外のすべてです。そして同行者は善知識そのものです。これは「善知識」これは「悪知識」といって自分のさかしらな判断で選別した瞬間、ありのままに観ることができなくなってしまうでしょう。桜吹雪の緞帳が上がって、新しい舞台へと移行するこの季節、新しい善知識と出会う時でもあります。♫1年生になったら 1年生になったら 友達百人できるかな♫ 私はこの歌のように、毎日が1年生になったばっかりの気持ちで一日が始まり1日がおわり、そして一生をおえることができればいいな、などと桜吹雪を観ながら夢想しているところです。

 今回は、桜吹雪が演出する季節の目まぐるしい変化に惑わされて、ちょっと感傷的になってしまったようです。桜の花の満開の下にはやはり人を惑わす魔物がいるのでしょうか?

魔物は自分が作り出すもう一人の自分。この自分も

ありのままに観ていかなければならないですね。

それではまた次号でお会いしましょう。(出琉)

狂言綺語17・・・春の蛙

 田んぼに水が入り、代掻きが始まりました。そろそろ田植えも見られるようになりますね。川から小川、小川から田んぼのあぜ道の用水へそして田んぼへと、水が勢いよく流れ始めました。いっとき水面の光の反射で大地がキラキラとまぶしいくらいに輝きます。やがて苗が植えられ、鮮やかな緑が水面にやさしく反射し揺らめきます。そうなると春の蛙の合唱も聞こえてきますね。そして稲の成長にしたがって大地は緑に覆われていきます。気が早いようですがじきに夏です。ところで最近あまり蛙の鳴き声が聞こえませんが、どうしたのでしょうか?

 春の蛙で思い出しました。曹洞宗の宗祖道元の「弁道話」という著作に「声を暇なくせる、春の田の蛙の昼夜に鳴くがごとし、ついにまた益なし」と書かれています。前文から素直に読めば経や念仏や題目をただ唱えるだけでは、春の田んぼに鳴く蛙のごとくなんの役にも立たないといっているようです。悟りに至る道はただ座禅修行の中にのみあるということを述べる書の中の言葉です。念仏や題目を悟りへの道と信じている人にとってこの言葉は受け入れ難いでしょうが、逆にただ坐っているだけではそこら辺の石ころと同じで邪魔なだけだとも反論できるのです。私は悟りへ至る道が座禅であろうが念仏であろうが題目であろうが、その議論はやすらぎのところにたどり着くためには無意味なことだと思っています。そのような宗派的形式論に執着していては、お釈迦様を善知識として伴に歩むことなどできないと思うのです。もしお釈迦様が題目を知らなかったら、題目を唱えるようにお釈迦様に強制(折伏)するのでしょうか。

 仏教はお釈迦様がなくなられた後は分派活動、異端活動の繰り返しだったのです。ですから唱える経も悟りに至る方法も千差万別。異端活動を正当化するために新しいお経が編み出されていきました。そして新しいお経とともに信仰形態とその対象である本尊に正当性が与えられていったのです。キリスト教では聖書とキリスト以外を信仰の対象としたものや、正統から外れたと判断されたものは、異端としてことごとく排除されてきたのに、仏教はなんと寛容でいい加減な宗教なのでしょう!

 私は経典を読み始めたとき、一つのお経の中にもつじつまが合わないことが散見され、ましてや異なるお経になると正反対の主張をしていることに違和感を覚え、同じ仏教というカテゴリーの中に正反対の教えがあることが不思議でなりませんでした。もちろん現代のわたくしたちは、今残されている経典は百年以上にも渡って、ある人が自分の考えの正当性を主張するために、以前のお経に新しい主張を書き加えてきたということを知っています。ところが明治時代になるまですべての経典はお釈迦様の金口(こんく)と信じられていました。つまりお経はお釈迦様の生涯の中ですべて語られたものであると信じて疑われなかったのです。その結果、矛盾だらけの各経典を、すべてお釈迦様一人が語った言葉として、矛盾無く見えるように整理することに仏教は多くのエネルギーを費やしてきました。つい150年ほど前まで、文献批判とか文献比較という視点は全くなかったということでしょう。

 中国や日本では、お経はすべて実在のお釈迦様の言葉であると固く信ぜられ、その前提の下に仏教活動のすべてがあったのです。この間違った前提で日本に移入された仏教が今ここにある私たちの知っている仏教なのです。とは言っても私は、お釈迦様の実際に語った言葉(原始仏典)に帰らなければいけないと言うつもりは全くありません。間違った前提、異端分派活動の末に今ここにある仏教は、今この時代この環境にある私達には必要だから今ここにある、と考えたいのです。春の蛙と揶揄されようが、ただの石ころと無視されようが、それを行う人たちには、お釈迦様と同行して安らぎのところに辿り着く「行い」のひとつのカタチだと思うのです。このカタチは「信」のカタチです。

 春の蛙が鳴いていることはただ益のないことなのでしょうか?蛙は鳴かなければならないから鳴き、蛙なりに鳴くことが必要だから鳴いているのです。その理由は私には分かりません。恐らく蛙にも分からないかもしれません。同じように念仏や題目を唱えること、座禅を行うことも、理由を問い始めると、形式や現象の違いを強調し他を非難・排除する方向に行ってしまいます。それぞれの行いのカタチはそれぞれの「信」によって支えられたかけがえのない「行い」です。異端も分派もすべて「私の教えの中にある」とお釈迦様がおっしゃってくれてきたからこそ、今ここにある仏教の教えが今ここにある、と私は考えたいのです。

 もうとうに時効だと思うのでここに書きます。小学生の頃畦道を自転車に乗っていて田圃に落っこちたことがあります。さいわい田植前だったので実害はなかったと信じたいのですがそのまま泥だらけで逃げ帰ってしまいました。農家の方ごめんなさい。

ところで今気がついたのですが「蛙」と「畦」、字がそっくりですね。

今年は畦道をゆっくり歩きながら、うるさくて耳を

塞ぎたくなるくらいの蛙の声を楽しみたいと思います。

それではまた次号でお会いしましょう。(出琉)